オナ禁生活43日目・・・「ワカラナイ」への「ちゃれんじ」
「分かりません」
この言葉について、今、どう思っているか?
どことなく、なるべくなら、言いたくないと、
思っていないだろうか?
私の場合、学生時代の授業中、先生に当てられたときを思い出す。
どこか逃げていて、道がせまく、息苦しさただよう空気感。
そう思ってしまっただけで、学ぶ姿勢が、見られない。
そう、単純に思っていた。
・・・・・・・・。
それじゃあ、改めて問う。
「ワカラナイって、そんなに恥ずかしいことなのか?」
知らないとは、別の話だ。
分からないことを恥じたところで、何も変わらない。
そこから、
分からないと気付いたその時、どう動くか?
自分は、そのことに対して、どう向き合っていきたいのか?
そこに気付いて、初めて、知ること、理解することへの
原動力になる。
芸術、アートも同じ。
自分の発した「ワカラナイ」をどう生まれ変わらせていくか?
ワカラナイって、宇宙みたいだ。
無限に見えて、すぐそこにある。
それぞれのワカラナイが果てしない宇宙なら、
自分の、お気に入りのワカラナイに、
無我夢中で、試そう。
~あしたにつづく~
今、興味がある展覧会
今日のオナ禁手帳。
体調良好。性衝動なし。生活の枠組みがより、固まりつつある。